美術家の山本愛子さん(詳しいプロフィールはこちらのブログから)が島にリサーチに来た際の滞在日記を3回に分けて公開しています。

前回の記事はこちら→#039 アーティストプログラムin神津島 山本愛子 リサーチ日記①

今回はリサーチ3日目・4日目の日記です。

【9月9日 雨のち晴れ(3日目)】

はじめてのオフライン会議

朝、アーツカウンシル東京プログラムオフィサーの櫻井さんが島にやってきました。HAPPY TURNメンバー+櫻井さん+私でのミーティングはzoomでしか行ったことがなかったので、はじめてのオフライン会議です。当たり前なのですが、オフラインだと情報量が全然違う….。ちょっとした間、表情、目の動き、姿勢、声の大きさ、手の遊び。同じ言葉でも、zoom上とは受け取る印象が変わるので、返す言葉が変わり、話の流れが変わり、会議全体の内容が変わるのだろうと想像します。同じ蒸し暑さのなかで、「暑いね〜」と言い合えることさえも、特別に感じました。会議で決まったことは、今回の滞在の最後にくるとで草木染めをやってみること。来年また私がくるとに来ること。

動きつづける布

くるとで起きた面白い現象のひとつは、「あわいのはた」が気付くといろいろな場所に移動していることです。雨がふりそうだからと誰かが室内にしまってくれていたり、圭さんによって天井からカーテンのように垂れ下がっていたり、子供たちが駅ごっこ(?)の駅の目印にしたいから、と庭に持っていって遊んだり。この色がこの植物だよ、と資料のように布を指差す人がいたり。もしもここがアートスペースだったら、作品だから触っちゃダメ、と思う人がでてきたかもしれません。くるとには、そういうストッパーは無いようでした。とりわけ布という素材は生活に身近で、作品だからと身構えづらいのかもしれません。そして軽くて柔らかいので、子供でも安全に軽々と動かせます。くるとの時間軸のなかで、布が風に舞い続け、細やかな光を反射し、奥の風景がうっすら透けたりする。そういう様子を、ぼーっと眺めていられる余白がここにはある。くるとと布の相性はとっても良いようでした。

▲部屋の中・駅ごっこ・半屋外

深夜の食卓でゲリラ草木染め

ある意味では、この出来事が今回の神津島滞在のハイライトかもしれません…。夕食後のゆったりタイムのこと。突然、中村さんがパッションフルーツをすりおろし始めました。それは、島で草木染めをするおばあさんたちが、「パッションフルーツの皮でうまく布が染まったことがない」と言っていたことを思い出し、煮ることで色の鮮度が落ちるのではないか…と思い、皮をすりおろして、直接布を浸せば染まるのではないかと思ったからだそうです。(すごい発想力)そこから、夜中の実験会がはじまりました。気がつくとパッションフルーツだけではなく、冷蔵庫の食材や、昨日ゲットした明日葉の茎、キッチンの明日葉茶、石鹸、外に生えていた花。食卓が素材でいっぱいになり、床に新聞紙を敷きはじめ…。スーパーカップの空箱に染色用の助剤を入れて、プチサンプル制作。植物が、食べ物にも染料にもなるからこそ、食卓でもゲリラ草木染め(?)ができるのか…というのは、自分にとっても衝撃的でした。

【9月10日 晴天(4日目)】

はじまりの一歩に佇むのれんをつくる

あっという間に神津島滞在も終盤になってきました。終日活動できるのは明日が最終日になります。最後は、私+HAPPY TURNメンバー+くるとに居合わせている人たちで、草木染めをしてみようと思います。くるとの日常にのこる布を染めたい。みんなで話し合い、まずはくるとののれんをつくることになりました。くるとの扉に足を踏み入れるはじまりの1歩として、そこに佇むのれんを作るということに、私自身もしっくりときました。ミシンをお借りして、この日は1日くるとの作業机でのれんを縫う作業。のれんが縫い終わったら、布の事前処理として、タンパクを含んだお湯に布を浸し、染まりやすい状態に整えました。

▲のれんをかけているところ / くるとの黒板に日記も書いた

ひとり温泉で思考する

夕焼け空の時間に、神津島にきてはじめての温泉に行きました。海が一望できる露天風呂で、明日(最終日)のことを考えます。これは毎回のことですが、みんなで何かを染めてみよう、という日の前日は楽しみとドキドキで落ち着きません。遠足前夜の気分で、大抵夜もあまり寝付けません。自分も染めたことのない草木での実験。どんな色に染まるんだろう。明日来てくれる人たちが、喜んで帰っていってくれるか。どこまで自分がフォローできるのか。ぐるぐると考えながらお湯に浸かり、空はすっかり暗くなってしまいました。

星空が怖い感覚

温泉からでると、雲一つない星空が広がっていました。滞在中はじめての星空です。もっと暗いところに行けばよく星が見えるだろうと思い、最北端の赤碕遊歩道までバイクで行ってみることに。海沿いをバイクで走りながら、だんだんと明かりがなくなっていきます。あたりは人気も動物の気配すらもなく、波の音だけが繰り返されています。道路には街頭もありません。新月が近かったので月明かりもなく、空はよりいっそう暗く、星とバイクのライトが数十メートル先だけを照らしています。漆黒の海と崖壁に挟まれた道路をただ走り、どこまでが道で、海で、空なのかもよく分からなくなってきて、これ以上先に進むことに危険を感じ、道路の脇にバイクを止めて星空を見上げることにしました。ライトを消すと、夜空を横断する真っ白な天の川が。あまりの星の多さに、感動と恐怖が押し寄せ、足がすくんでしゃがみこんでしまいました。「畏怖」という感情がしっくりくるような、そんな体験でした。

③につづく