島で「幸せなターン」をしている人々にお話を伺い、その物語を共有する『HAPPY TURN/神津島 通信』。今回は神津島の郵便局で配達員をしている浜川峻さんにお話を伺いました。進学や就職のため、中学卒業又は高校卒業後ほとんどの学生は一度島を離れます。そんな中、学年で唯一島に残り就職した峻さんに、島で暮らす理由と現在の暮らしについて伺いました。是非最後までご覧ください。


神津高校卒業後、島の郵便局に就職
20歳の青年が故郷を離れず暮らし続ける理由とは

名 前|浜川 峻(はまかわ しゅん)さん
年 齢|20歳
職 業|郵便局職員
出身地|東京都神津島村

高校卒業後、島に残ることは珍しいことですか?

そうですね。自分の代も一つ上の代もその上の代もみんな卒業して一度は島を出ています。1個下の代もそうです。高校卒業までに一度島を出るのが当たり前のようなところがあります。

同級生が内地(本土)にいて寂しいと思うことはありますか?

寂しいと思うことも、島から出たいと思うこともありません。同級生は仲がよいので、帰ってきたときは会えたらいいな、と思うくらいです。ただ、お正月の時期だと(年賀状の配達などで)忙しいので、違う時期に帰って来て欲しい思うことはありますね。大学や専門学校の夏休みなどで帰ってきたときは昼も夜も集まっているし、寂しいから内地に行けばよかったと思うことは今もないです。

どうして島に残ろうと思ったのですか?

1つ目は神津が好きだからです。人が多いのが苦手なのもあって、進学などの迷いはなく、島に残ること一択でした。自分にはのんびりした島暮らしが向いていると思っています。2つ目は島でやっているスポーツを続けたかったからです。東京へ行くと今みたいに運動する機会も減るだろうし、人見知りするので、よく知っている島の人たちと一緒にスポーツをする時間がとても楽しくて続けたかったのも理由です。

どんなスポーツをしているのですか?

今はコロナで中止になっているものもあるのですが、月曜日と水曜日と土曜日はバレーボール、火曜日と木曜日はバスケットボール、木曜日はこどもの太鼓も教えています。金曜日はソフトバレーボール、日曜日はバドミントンをしています。休みの日がないのですが、基礎の練習でも試合でも今はスポーツをしているのが本当に楽しいです。ジュニアバレーボールの指導をしていたこともありました。

スポーツを好きになったきっかけを教えてください。

好きになったのは中学の部活動からです。小学校のときは太鼓をやっていて、走るのもあまり好きじゃありませんでした。中学の時、陸上部の顧問の先生がとても熱心で、そこからスポーツが好きになりました。走り幅跳びをやっていて、練習していって少しずつ上達していって、四島大会では優勝もしました。今のスタイルで運動を始めたのは、中学3年生の終わりぐらいからです。部活が終わってからほぼ毎日、今と同じように運動していました。バレーボールは学校や部活で教えられたことがないまま参加して人の動きを見て自分に取り入れながら覚えていきました。

曜日ごとに違うメンバーとスポーツをしていて思うことはありますか?

一週間、毎日違うチームの人たちと練習しているのでいろいろな人との関わりができました。神津は人口が少ないから、練習するメンバーの人数が足らないと別のチームにいても「練習に来ない?」と声をかけてもらうこともあって、そのままそのチームの練習に参加するようになったこともありました。新しい人が入ってきてもウェルカムな空気があったり、できなかったらみんな教え合ったりする温かい空気がいいと思います。

▲毎週水曜日のバレーボールの様子

その雰囲気がいいのかもしれないですね。

そうですね。楽しくやろう!という今の雰囲気が好きです。自分は結構人見知りをするのですが、スポーツをするときはがんばって話しています(笑)。特にバレーボールでセッターをするときは、コミュニケーションが必要だと思うので、人見知りでも、声をかけるように努力しています。神津の場合、スポーツを通して島外から転勤で来た人とも関わりができるので、移住者も島の人も、仕事中に道で会った時に声をかけてくれたり、挨拶をしたりしてくれます。自分の場合は、スポーツがコミュニケーションのきっかけにもなっていると思うので、それも神津でスポーツをするのが好きで、続けている理由かもしれません。

ジュニアバレーの指導をしていたのはいつのことですか?

社会人1年目のときです。高校生のときに、監督をしている“としかつ兄”に誘われたのですが、最初は自分のバレーは自己流で自信もなかったので気が乗らなくて。一回行ってみたのですが、それでも悩んでいました。高校卒業前、バスケ部の顧問の先生に「向いているからやってごらん!」と言われて、先生が言うならやってみようかな、と思ったのがきっかけです。教えるのが楽しくて、実は教えるのが好きだったんだな、ということにも気が付きました。教える側になって自己流のままではまずいと思って、初めて動画を見て基礎を勉強しなおしました。学校の勉強より勉強していましたね。今は行っていないのですが、楽しかったです。

後輩たちに今思うことは?

特に島に残って欲しいと思うことはなく、島を出ても出なくても、出てから帰ってきても帰ってこなくても、それぞれが決めた選択ができればいいと思います。

自分がこの島でスポーツをしていて「できないことができるようになる経験」がとても楽しくて、そんな経験ができるものを島で見つけてみるのはいいと思います。「できないことができるようになるのが楽しい」ということが分かれば、いろんなことが頑張れるようになると思うので、やってみようと思えるものを見つけて欲しいです。

インタビューを終えて

高校卒業後、峻さんが島に残るという話は当時島内でも有名で、一度も外に出ずに島で暮らす選択肢もあるのだな、と驚いたことを覚えています。高校の制服が郵便局の制服に変わり、同じ道を自転車で通勤していたことも印象に残っている出来事でした。今回のインタビューを通して、峻さんにとって故郷である神津島が、スポーツをしていく中でより自分の「居心地のよい場所」になっていったのではないかと感じました。卒業後どうするか、という選択をするとき、何を基準に考えるかは人それぞれだと思います。峻さんのように「自分の居心地のよさ」を基準に、暮らす場所を決める生き方もまた素敵だなと感じました。

記事・写真 飯島知代(HAPPY TURN/神津島)