こんにちは。
事務局の中村です。

あまり表だって発表していなかったのですが、定期的に集まって、神津島の文化・風土・風習を味わう「風習ファンクラブ」というものを始動しようと年度頭には考えていたのですが、新型コロナウイルスの影響もあり、動き出せていませんでした。

集えない。

ただ、そんな状況でも、「風習ファンクラブ」の素になるような事をリサーチできるじゃないか!ということが見えてきて、中村1人、若しくは声をかけさせていただいた、少人数で動き始めることにしました!

その企画名は、、、「コウヅのコウズ」。

神津島(こうづ)を成している構図(こうず)を調べていき、いくところ好事人(こうずじん)になろう!というコンセプトです。

毎月、あるテーマを定めて、その事について探求していきます!

 

今回は「神津沢にかかる橋」をテーマにして、歴史や思い出、エピソードを探っていきます!

橋に着目した理由は、
村がどのように広がり発展していったかを知りたく、地図を見ていくと、神津沢が物理的な障害となっているのがわかりました。そんな沢と、昔の島民はどのように付き合い、乗り越え、共存していったのかを探って行く事で、村の変遷が見えてくるのではないか。という考えから、橋に注目してみました。

そして、まずは、9月2日、基礎となる橋のリサーチのを行いました!
その記録を書き起こします。

1、各橋を見に行く。

<松工橋>

現地調査は基本中の基本。
神津沢に架かる橋をすべて見に行きました。
各橋のまわりでウロウロしていた中村はさぞかし不審者だってでしょう。

海側から、
・渚橋
・潮見橋
・松工橋
・千歳橋
・天神橋
・弥生橋
・天上橋

と、日常的に使う橋は7ヶ所ありました。
途中で、見かけた方が、松工橋の話しは知っているか?と話しかけてくれてなぜか嬉しくなってしまい、それは千葉県の「松戸」にまつわる話しなのですが、「松江」と言い間違えてしまうほどどぎまぎしてしまいました。

 

2、郷土資料館へいく

<郷土資料館に展示されている、旧松工橋の欄干>

橋をすべて見終えた次は、郷土資料館にいき、外に飾ってある、松エ橋の欄干を愛でてから、受付の仲の良い職員さんに、「橋にまつわる資料ありませんか~」と、短刀直入に質問。
「松工橋の話くらいは知ってるけど他の橋は、、、」と言いながらも、これならどう?と村史を案内していただきました。
その後、館内をぐるりと回って、普段とは違う意識で資料や展示物を眺めてみて、ヒントになりそうな物を記録。
また、展示されているが中は閲覧できないような資料で、見たら何かわかりそう!というものもあったので、後日、問い合わせてみようと思います。

 

3、図書館へいく

<中村が固唾した、資料>

調べものだったら図書館でしょ。ということで、次は図書館へ。
人見知りな中村は、普段行かない図書館で、テンパりながら、単独自力で資料を探そうとしてしまいました。が、すかさず受付の方が話しかけてきてくれて、中村が「橋の資料を探していて、、、」というと、奥の書庫からなんとも面白い、初めて見る冊子2冊を出してきてくれ、1時間ほど読みふけってしまいました。

すごく、楽しかったです。もうほんと、出会えてよかったと思える資料でした。最高。

ちなみに、その2冊は、、、これとこれです!
と言いたい所なのですが、貴重な物でもあると思うので、気になる方は、図書館に行って「中村圭が橋を調べた時に見た資料を見せてください」という感じで見せてもらってもらえれば幸いです!

 

本日は以上です。このようなリサーチを行いました。

そこで気がついたことは、

・多くの橋に水道管?も一緒に敷設されている
・右岸側から橋を渡ると、上り坂で左岸側にアクセスする
(潮見橋、松工橋、千歳橋、天神橋)
右岸と左岸の地質の違いを表しているのでしょうか、、、!?

・ちとせや商店、千歳丸、橋本屋など橋に関連しそうな屋号や船名が神津島内にある。

などなど。
今後、関連しそうな屋号などをもつ方へのアプローチや、村史を読み込むなどして、橋を調べ、まとめていきます!

今回のリサーチ報告は以上です。
引き続き、神津沢にかかる橋を愛でてまいります!

一緒に愛でてくれる人も募集中!

事務局
中村圭