島で「幸せなターン」をしている人々にお話を伺い、その物語を共有する『HAPPY TURN/神津島 通信』。今回は将来、東京の島で小学校の先生をやってみたいという宇都宮大学3年生の藤田はるかさんが、現在タイの日本人学校で働く田中真央先生にインタビューしました。2015年から4年間神津島で働き、次の夢を叶えるために海外へ飛んだ真央先生。タイとテレビ電話をつないでインタビューしました。是非最後までご覧ください。


~先生を目指す大学生がインタビュー~

「楽しくて幸せな日々だった」 神津島に4年間勤務した、先生の日々

 

名前|田中真央(たなかまお)さん
年齢|31歳
職業|小学校教諭
在住期間|4年間(2015-2019)
出身地|東京都江東区

 

島の先生になろうと思ったきっかけを教えてください。
高校の同級生に神津島出身の友達がいて。すごく仲がよかったわけでもなく、ずっと年賀状のやりとりしかなかったんだけれど、社会人になってからせっかくだから行ってみよう!と、何度か遊びに行って。
その時に「島で先生っていいな〜」と思いました。異動になるとなった際に、数ある東京の島の中でも、思い出と人との出会いがあった神津島に希望を出しました。

 

島に来て、想像通りだったことと、違ったことを教えてください。
想像通りだったことは、地域の人との距離が近い事ですね。距離が近い分、一緒になってこどもたちの成長を見守ることが出来ました。反対に想像と違ったことは、島だからといって何かができないとか、足らないとか、そういう訳ではなかったことです。スポーツやピアノなどの習い事もありますし、通信教育講座で家庭学習をしているご家庭もあります。こどもたちは想像していたよりも忙しい毎日を送っていました。

 

神津小学校は1学年1クラスで人数も少ないと聞きました。児童の人数が少ないのはどうでしたか?
初任校は4クラスあり、40人学級の担任をしていました。神津島に来てみるとどの学年も15人~20人くらい。もちろん、40人の時にも一人ひとりを見るようにしていましたが限界はあります。その点、少人数だと、より丁寧にこどもたちを見てあげられたことは、とてもよかったです。それに、15人~20人くらいだと体育の授業で2つチームが作れずに対戦できない!などという困ったことも、特にありませんでした。

 

島ならではの授業はありましたか?
生活科や社会科、総合的な学習の時間では、明日葉農家や漁協の見学、4年生は伊勢海老漁の網はずし、5、6年生は島を盛り上げるためのプロジェクトを自分たちで考えるなどの授業がありました。海での遠泳大会もありますね。夏のお祭りも、こどもたちと一緒に神輿をかついだり、山車を引いたりしました。

 

休日は神津島で何をされていましたか?
毎週日曜日は温泉に行ってぼーっとしていましたね(笑)。あとは山登りかな。島の中に友達もできて、一緒にご飯に行ったりもしていました。本土にいるときよりは自分の時間があったと思います。平日も帰って勉強したり、友達と会ったり、夕方の時間も充実していました。

本土に帰りたい!と思ったことはありましたか?
なかったですね。知り合いもできて、島生活が楽しかったので。
それに3連休になれば飛行機で実家に帰っていました。飛行機だと45分で調布に行くので、実は意外と近いんです。

 

島に来たからこそ成長できたことやよかったことはありますか?
自分の生活県内にこどもがいる環境で働くことで、親御さんと一緒にこどもたちの成長を感じたり、喜べたりしたことは、とても嬉しかったです。道ですれ違ったときにあったことをすぐ話してくれたり、伝えたりもしましたね。こどもたちから来て欲しいと、習い事の発表会やスポーツの大会を見に行くこともありました。みんな、自分のこどものように感じられて、それがとても幸せでした。地域や人との繋がりの中でこどもたちと向き合う経験をして教員としても成長できたと思います。

 

どうしてタイに行かれたのですか?
いつかは海外に行きたいとずっと思っていました。私が日本人学校に行っているのは、文部科学省からの派遣教員という枠なのですが、受験資格に3年以上の勤務経験と2校以上の経験が必須でした。そのため、2校目は行きたかった島に希望を出し、次は海外勤務をしたい!という夢のために勉強しました。どこの国になるのかは希望を出せるわけではないので、タイになったのは偶然です。タイは住みやすくていいですよ!今はタイ語やムエタイ、英語も習っていて、タイでの生活も楽しいです。

最後に東京の離島で先生を目指す人に一言お願いします。
真面目にアドバイスをすると、少し経験を積んでから行くのがオススメですね。島が初めての学校だと、先輩も少なく、仕事の分担も多くなります。自分で見通しをもってやらなければならないことも多いです。でもその分、自分流にアレンジした学級経営もできて、大変ですが勉強になります。そして、一番大切だと思うことは心や視野を広く、色んな人とコミュニケーションをとって繋がりを持つことですね。私は50円の付き合い(年賀状)を続けていく中で神津島に出会い、島の先生になりました。島でもたくさんの人たちに出会い、よくしてもらって、本当に楽しくて幸せな日々を送ることができました。それは、いろいろな人たちとの繋がりを大切にしてきたからだと思います。こどもたちにもいつも言っています。離島に限らずですが、出会いを大切に!繋がりを大切に!がんばってください。

 

インタビューを終えて

藤田はるか
以前沖縄本島の久志地域でボランティアをしたときの経験から、他の島にも行って観光ではなく実際に地域の人や島の先生の話が聞きたいと思い、訪れた神津島。
島の皆さんは、気さくに色々な話をしてくれました。また、真央先生に実際にインタビューさせていただいたことで、今まで漠然とした島の子、島の学校のイメージしか持っていませんでしたが、島で先生をやりたい!それ以上に島に住みたい!という気持ちが増えました。
「出会いと繋がりを大切に」と言っていた真央先生の言葉を聞いて考えてみると、神津島に来たことも、真央先生にインタビューさせていただいたことも、今までの出会いと繋がりから生まれた経験だなと思います。沖縄でボランティアをしたときの人との出会いや経験がなければ、神津島に行きたい!地域の人たちの話を聞きたい!と思うこともなかったかもしれません。こうした出会いや繋がりが自分の経験を広げてくれるのだなと改めて思いました。これからも、人との出会いや繋がりを大切に過ごしていきたいです。

 

記事:藤田はるか(宇都宮大学3年)
編集:飯島知代(HAPPY TURN/神津島)