HAPPY TURN/神津島のアーティスト・プログラムの一環として開催したオル太による展覧会とパフォーマンス『漂白と遍歴』には、そこに至るまでに様々なプロセスがありました。展覧会だけでは見えてこないプログラムの背景や過程、そして作品について、今回のプログラムの企画協力として2022年のリサーチから併走したキュレーターでもある私の視点からレポートします。

■「オル太がやってきた!」から全てが始まった

オル太との神津島行きが決まったのは2021年の秋に遡ります。その時は展覧会やパフォーマンスというゴールも決まっておらず、オル太と一緒に神津島をリサーチし、そこから何か表現に繋げていくというものでした。HAPPY TURNもリサーチ段階から長期間に渡ってアーティストを招聘するのは今回が初めての試みでした。

最初のリサーチでオル太と私は島の全容を把握するために、島中の山や海岸を巡ることから始めました。森を分け入り、山を登り、海を眺め、まずはアウトプットへ繋がるヒントを空間から探すことにしたのです。続いてのリサーチでは神津島の歴史や風習、それぞれの生活について島民の方々へインタビューを行いました。こうして初期のリサーチで神津島の空間と、そこで育まれてきた文化や産業、歴史についての基礎情報をインプットしていきました。

オル太のリサーチが面白いのは、6人組が故に多様な視点を持って対象を見つけている点です。メンバーそれぞれの興味関心や得意技を上手く使い分けながら、各々が異なるテーマのリサーチを深め、新しいキーワードを共有し合うのです。

リサーチが始まった時の様子はブログ「オル太がやってきた!」でも書かれていますが、まさにまずは島に行ってみることから全てがスタートしたのでした。

■島で、少しづつ、つくること

「やってきた!」ことから今度は表現へと繋げていかなくてはいけません。HAPPY TURNが神津島でどんなことがやりたいのか、オル太がこれまでどんなことをやってきたのか。そしてここで出会ったみんなで島を巡る中で、どんな事を感じて、どんな事が気になったのか。それぞれの考えを少しづつ伝え合います。

アートプロジェクトと呼ばれるものは、決まったやり方があるわけではありません。それは表現が多様というだけではなく、関わる人たちの共通言語はプロジェクトを行う場所や協働するコミュニティによって毎回異なってくるからです。だから「アート」の定義も自明のものではありません。アーティストを呼べば作品が出来上がるわけではなく、このプロジェクトで何を大切にしているかをみんなで話し合わなくては良い表現が生まれません。逆に言えばこの場所、この人たちとしか作れない方法を見つけ出すことがアートプロジェクトの醍醐味だと思うのです。

最初のリサーチをきっかけにそこからどんなテーマを深めていくか、何度も作品プランのアイディアを出しながら、方向性を絞っていきます。そこでおぼろげながら、神津島特有の風習が今回のプロジェクトの手がかりとなりそうだということが見えてきました。

今回のように、ある土地を舞台に作品制作を行う時、リサーチの成果をアーティスト自身のアトリエに持ち帰り制作をする場合もありますが、同じ都内とはいえ船での往復がそう簡単ではないため、オル太はメンバーが交代で島に滞在しながら作品制作を行うことにしたのです。とにかく島に居ることから具体的な作品を構想する方法を選びました。

本展に展示された作品は単に神津島をテーマにしていたり、島の素材を使っただけでなく、島の中で制作されたというのも大事なことです。それはアーティスト達が島の様々な環境から影響を受けた証でもあるからです。それはつまり島の気候、手に入る素材や道具、制作場所の広さ、滞在中に出会う島民の方々とのコミュニケーションなど、あらゆる要素が制作に影響を与えた可能性があるということ。この「可能性がある」状態が作品やプロジェクトのオリジナリティに繋がっていて、都心とは違う時間の流れや、HAPPY TURNのユニークなスタッフのみなさんがいなければ生まれなかったものです。

■『漂白と遍歴』の重層性

こうして度々メンバーが滞在しながら制作された作品は2022年9月のオープンスタジオで展示されましたが、そこから新たな作品を加え、構成を新たにして開催されたのが本展『漂白と遍歴』です。

展示された作品はカラフルだったり愛らしいビジュアルに目が行きますが、その見た目とは裏腹にモチーフやテーマには複雑な背景や歴史が絡み合っています。ここではいくつかの作品に着目しながら、展覧会を振り返りたいと思います。

《シチフク》

まず会場へ入ってすぐにある七福神のオブジェを用いた《シチフク》は、本展が持つ重層性を端的に示しているような作品です。作品は恵比寿と迷彩柄に着彩されアメリカ芋に乗っている大黒天によって構成されています。それぞれ漁業と農業の福の神でもあるため一組で信仰されることも多い七福神ですが、他方で恵比寿は海から流れ着いた漂流神、大黒天は元来仏教では戦闘神ともされていました。大漁追福と五穀豊穣、漂流神と戦闘神という多面性に輪をかけるように大黒天は迷彩柄に塗られ、更にアメリカ芋に乗っています。迷彩とは周囲の環境に溶け込む擬態であり、存在を覆い隠すために用いられる技術です。アメリカ芋は日本へ持ち帰られた後に交配を経て、護国という名の芋として第二次世界大戦時に日本中で栽培されたものでした。会期中に開催されたパフォーマンスの中でそのような歴史的事象が明かされることになりますが、本展の作品のモチーフにはそういった複数の意味が幾重にも重なっています。

《タンチョウのデコイ》

また、会場中央の頭上に見える《タンチョウのデコイ》も、重層性を示す重要なモチーフです。タイトルにもあるデコイとは、狩猟でおとりに使う鳥の模型のことを指し、戦時中は敵の目を欺く兵器としても用いられたものでした。また、神津島より少し南には鳥島という島があり、そこには鳥たちの繁殖を促すためにアホウドリを模したデコイが設置されているそうです。本作のモチーフとなっている鶴(タンチョウ)はJALのモチーフでもあることが、並べて吊り下げられている時刻表からわかります。戦争兵器や繁殖を促す道具としてのデコイ、観光の象徴としての鶴、どちらも様々な関心を引き寄せることで成り立っているものです。

《シチフク》と《タンチョウのデコイ》からは、物事の背景(遍歴)が見えなくなる(漂白)という本展に通底するテーマのひとつが、迷彩やデコイという相反する手法に戦争や産業、信仰などの複数の象徴を重ね合わせることで端的に示されていました。

《デイリー・ファウンド・オブジェ 神様》

また、今回のプログラムでリサーチ当初からオル太の関心を惹きつけた島の風習のひとつに「二十五日様」があります。浜に流れ着く漂着物を神としてまつる漂流神という信仰が伊豆諸島にはあり、神津島では二十五日様と呼ばれ今でもその風習が残っています。旧暦の 1 月 24 日になると海から二十五日様が上がってくるので、島民は外出を控え家に籠らなくてはいけません。その存在を見た人は死んでしまうとも言われています。本展ではこの風習に着目した作品がいくつもありますが、ここでは《デイリー・ファウンド・オブジェ 神様》を見ていきたいと思います。タイトルに用いられているファウンド・オブジェとは、本来の機能ではなく美術的価値へと転換された物を指す言葉で、1920 年代にゴミや日用品を用いた作品がその始まりとされます。本作は二十五日様をはじめ伊豆諸島に伝わる漂流神に着想を得て、オル太が島に滞在中に日々収集した漂流物から、海岸に漂着した神様に見立てたオブジェをいくつも制作したものです。素材の多くは、近年世界中の海岸で発見されているプラスチック製の人工小石と呼ばれるもので、プラスチックが溶けて固まった形状はあたかも溶岩から出てきた自然の小石に酷似しています。自然分解されない人工物があたかも自然素材であるかのように解釈されていることからはどこか皮肉めいた印象も受けます。環境問題なども想起させる本作ですが、日々漂流物を収集し、こうしたオブジェを作り続けてきたアーティストの姿を想像すると、どこか信仰めいたものも感じてしまいます。例え人類が滅んでも、このオブジェだけは未来の信仰として残っていそうな気さえしました。

本展における作品はそれぞれに重層的な意味を持ち、さらにそれらのモチーフやキーワードが互いに重なり合うことで、鑑賞者を特定の意味に辿り着かせずに複雑な連想ゲームに引き込んでくれました。それはこの世界には多様な視点が存在することを教えてくれるようです。

■神津島だからこそできたこと

近年、アートが地域活性化のために観光促進の手法として用いられていることは皆さんご存知かもしれません。それは経済的には成功する場合がある一方で、そのような目的が先行してしまったものはアートとしての価値が無いのではないかという批判も起きてきました。人の関心を集めることだけが目指されて置かれているアートは、まるで鳥島のデコイのように実態の無い虚しい存在のようにも思えてきます。通常、アートでは「アウラ」という作品の唯一性が重要視されてきたのですが、デコイとはフェイクであり、本来の機能は有さない見せかけだけの存在です。離島を舞台したアートプロジェクトの中で、デコイをモチーフとして作品化するということには、そのような形骸化してしまうアートに対する非常にラディカルな問いでもあると思うのです。こうした自己批判を内包させていくということは、オル太が本展を通じて単に神津島をテーマにした作品をアートがわかる人たちだけに向けて発表しているのではなく、神津島においてアートとは何かということから真摯に向き合おうとしている姿勢が感じられました。

本展で扱っているモチーフは非常に複雑で重層的な意味を持っていましたが、用いられた素材の多くが島の中でも馴染み深いものだったこともあり、来場してくださった多くの島民の方が積極的に作品の意図を読み取り、アートを自分ごととして考えてくださったことがとても印象に残っています。このような場を生み出すことができたのも、約1年間のリサーチや滞在制作の過程でアーティストと島の方々の様々な交流があったからこそ、アーティストは創造力を膨らませることができたし、HAPPY TURNのみなさんもオル太の作品を島のみなさんへ橋渡しすることができたのだと思います。

今回プログラムに並走していた私としては、これをきっかけに今後も神津島とアーティスト達の出会いが繋がっていくことを楽しみにしています。そこにはきっと神津島だからこそできることが生まれるのではないでしょうか。

青木彬(あおき あきら)
インディペンデント・キュレーター/一般社団法人藝と/一般社団法人ニューマチヅクリシャ。1989年東京都生まれ。首都大学東京インダストリアルアートコース卒業。アートを「よりよく生きるための術」と捉え、アーティストや企業、自治体と協同して様々なアートプロジェクトを企画している。これまでの活動に「黄金町バザール2017 Double Façade 他者と出会うための複数の方法」アシスタントキュレーター(横浜市、2017年)、まちを学びの場に見立てる「ファンタジア!ファンタジア!─生き方がかたちになったまち─」ディレクター (2018年〜)などがある。編著に『素が出るワークショップ』(学芸出版)。

撮影:縣 健司 (※以外)