こんにちは。中村です。
一ヶ月ほど前の事となってしまいますが、
2月17日、18日は、二十五日様という神津島の風習の日でした。
この風習は、島民にとって恐い風習で、
両日とも日中は仕事をしてはならず、日が暮れたら家に閉じこもって、
光が漏れないように雨戸を閉ざし、静かに騒がず、早く寝て過ごす日でした。
騒いでしまったり、夜更かしをしてしまうと、
神様に殺されてしまうとも言われています。
そんな、神津島に脈々と続く風習「二十五日様」をテーマに、
くるとでは、風習前日の2月16日に様々な取り組みをし、二十五日様に様々なアプローチをしてみました!
その取り組みを紹介いたします!
その1 「いもじり」を作ってみよう!
「いもじり」とは島に生えている竹を使って作る、
神様を迎えるための飾り。または、家に悪霊が入ってこないようにするお守りです。(※諸説あります)
まず、作り方の調査です。竹と藁を使うことはしっていましたが、皮(袴)の切り方、藁の結び方をちゃんと知らなかったので調べる必要がありました。
二十五日様は神事のため、神社で使う分のいもじりは神主さんも作っています。なので、神社に作り方を伺おうとしました。が、中々アポを取ることができなかったのと、神社には立ち入ってはいけない期間だったため、神社に伺うのは断念。
どうしたものかと、悩みながら、ふらっと歴史好きな商店の店主に伺ってみたら、
「作り方の動画を持ってるぞ」とのこと。
、、、な、な、なんと!
そして、その動画データをいただく事ができ、無事に作り方、藁の巻き方を会得する事ができました。(なんとも現代的なリサーチだ)
そして当日は、見よう見まねで作るワークショップを開催。
神津島には、材料の竹は生えていますが、藁は昔はありましたが今は無いので内地から取り寄せているようです。今回は、普段お世話になっている大工さんが藁を持っていたので、それを頂きました。
竹を取ってきて、節を揃えて切って、、、
袴(茶色い皮)を揃えて、頭には藁を巻いて少し燻します。
玄関には長めのいもじり2本、短めのいもじり2本の2対4本を。家屋の神棚などには、短めのいもじりを2本お供えします。
短いいもじり1対2本。
ちなみに、長いいもじりは、「オーク」、短いいもじりは「チャンギ」と呼
ぶそうです。
いもじりが多めに作れたので、神津島観光協会に寄贈し、観光協会の窓口にも設置して頂きました。
色々な方に話しを聞いたり、書籍を読んでいくと、
実は、二十五日様が終わった後に、子供達が夜が明けないうちに家を出て、いもじりを誰が多く集められるか競う勝負や、
短いいもじりを地面に置いて、離れた所から長いいもじりを投げて、短いいもじりに当てたら、当てた人の物になる「いもじりゲーム」をしていたという事を初めて知りました。
恐いと思っていた風習のサブストーリーとして、風習が終わった途端に、子供達が家を飛び出して遊ぶストーリーがほっこりさせてくれました。
その2 黒板にイメージ図集め!
拠点くるとにある大きな黒板に、みんなが持つ二十五日様のイメージ図を書いてもらいました!
二十五日様を見てしまうと、「釜を被せられて地獄に連れて行って殺されてしまう」という、言い伝えがあるので、釜を描く方が多かったようです。
また、江戸時代の伊豆大島で、悪代官を殺害した25人の若者が船に乗り込み、神津島に逃げて来たが、上陸できずに違う島に向かう途中に難破して死んでしまい、それが亡霊となった。という話もあるので、25人の亡霊を描く少年も。
通りすがりのお姉さんにも描いてもらいました。
その3 餅つきリサーチ
拠点くるとに、ふらっと寄ってくれた島外の方が教えてくれた目撃情報。
「ここに来る途中の道でお餅をついている所があったよ。しかも結構な大人数で」
これを聞いて、以前は、二十五日様で供える餅を親戚で集まり餅をついていたという話しを思い出し、その場所を探しに行くことに。
車でぐるっと、うろうろしながら行き着いたお宅では広い庭に多くの方が集まり、、、
大きな釜、大きなカマドで餅米を蒸かしていた!
轟々とと燃える火。
吹き上げる蒸気は天に放たれ、
積み上げられた蒸籠は身長以上の高さ。
何軒分もの餅を蒸かしているそう。
現在、神津島でこのように餅を蒸かし、二十五日様の準備をしているのはこの1箇所だけだそうです。
「餅をつく」と聞くと、イベントで行われているような、ペッタンペッタンよっこいしょ、的な、かわいい所作を想像しますが、この場は違いました。
火を焚いて、水を湧かし、餅米を並べ、蒸かし、それをつく。
親戚の方々が仕事を分担して進め、餅をつくり出していく姿に、
餅つきが見せ物でなく、生活の一部であると認識させられて、
これこそ神津島の原風景だ、と感じました。
その4 島の先輩に話しを聞いてみよう!
神津島に脈々と続くこの風習。
以前は、日常的にはどんな物だったのか聞きたく、拠点に3名の先輩方をお招きしお話を伺ってみました。
左から徳左、才周、あさえのお姉様方。
印象に残っていたのは、
「二十五日様が楽しみで楽しみで仕方なかった」という言葉。
当時の神津島では、休みは無くとにかく働いていた。
家事、水くみ、畑、家畜、海の仕事など仕事は尽きない環境で、
そんな中、二十五日様は年に数少ない休める日だったそうです。
そして、二十五日様の前日の「三夜待ち」と言われる日には、次の日の仕事はないので、お友達どうし集まって朝までおしゃべり。次の日も遅くまで寝ていてよいので気兼ねなく夜更かしを楽しんだと聞かせてくれました。
2日間誰も山に入らないので、二十五日様が終わった日には、こぞって山に椎茸を取りにいったそうです。
二十五日様のフィナーレにはなんと、椎茸狩り競争が島民の間で密かに繰り広げられていたことがわかりました。
その5 お話集めポスターの作成
色々な方にお話を伺い、様々な二十五日様が集まってきたので、ポストイットを使ってポスター作りをしました。
神社の神事的な二十五日様。
怨霊や亡霊的な二十五日様。
いもじりで遊ぶ子供視点の二十五日様。
骨休みとなる働く女性視点の二十五日様。
尾ひれはひれがついて、
島民の中で変化しながら語り継がれていく二十五日様。
二十五日様のたたりとして語り継がれていく様々な話しや
日常生活の中にふと現れる日常生活でなくなる2日間の生活様式など二十五日様は様々な物事視点が混在して、存在しているらしいと思えてきました。
その6 資料集め
二十五日様に関しては、伝説や民話、風習の分野で多く取り上げられ、学術的なものから簡単に読めるものなど様々な著者により記述されています。
自宅にある物を読み直したり、役場へ伺い資料を探したりしました。
役場を伺った際には、今まで見たことのなかった資料、
「東京都神津島信仰関連文化財集中調査報告書」という書物を発見。とても細かく記述されて読みいってしまいました。
また、その中で参考文献とされていた本、
「海と列島文化 〈第7巻〉 黒潮の道 宮田登」も後日、手に入れました。二十五日様について詳しく描かれているので、興味のある方は是非お声かけください。
掘れば掘るほど新しい事実や書物を発見でき興奮する、資料あつめとなりました。
以上が、二十五日様をテーマとしてくるとで活動した事になります。
ただただ、「恐い」「不気味」と思われているかもしれない二十五日様ですが、人によっては待ち遠しい二十五日様であったり、厳粛な神事であったり、いもじりで遊んだり、探求したくなる風習であったりします。
今回の、くるとでの活動を通じて、自分の中にある二十五日様というものも少し暖かい存在となりました。
神津島を知っているようで、実はまだ知らない事がたくさんあるなぁと痛感しながら、たくさんの刺激を神津島からうけたリサーチとなりました。
これからも島の風習にアプローチを続けていくので、興味のある方はぜひ一緒しましょう!
ご連絡お待ちしています。
中村圭
坂本 隆栄
こんにちわ。はじめまして!まだまだ未定ではありますが、移住を考えている者です。
とっても興味深く読ませて頂きました。そして、なんて素敵な活動(くると)なんだろう、と思いました。島の本質を学びながら、知りながら大切に受け継いでいきたいですね。まだ遠くに離れている私ですが、そんな風に感じました。楽しく読ませて頂きます🎵